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詩(うた)と小説で描く「愛の世界」 再編集。古希を迎えた男の最後の女。其のニ
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再編集。古希を迎えた男の最後の女。其のニ

~千擦り盛んなりし頃~
古希2-1
私は北関東の農家の三男坊として生まれた。父は私が生まれると直ぐに
赤紙召集され、終戦直前に中国戦線で戦死してしまった。
母親は女手一つで、三人の息子と父親の両親の面倒を見ていた。
生活は貧しいどころではなく、どん底に等しかった。着る物も継ぎはぎだらけであり、
履物は藁草履が主で、時たま履く靴も底に穴が開いたような物ばかりであった。

そんな或る日、小学五、六年生か、中学一年生の頃からは、
はっきり記憶していないが、母親は私に風呂敷包みを持たせ、
「これをお婆ちゃんの処へ持っていって」と使いを言いつけてきた。
お婆ちゃんと言うのは母親の実母のことである。

風呂敷の中には着物が入っていたので、
「母ちゃんの綺麗な着物だ!お婆ちゃんにあげるの?」
私が聞き返すと、
「これはだれにも内緒だよ、絶対に他の人に喋ってはいけないよ」
母親は強い口調で言って、私を追い出すようにして押し出した。

母親の実家は4、5キロ離れた町場の近くにあり、子供の足で一時間半ぐらい掛かった。
母親の兄が農家を継ぎ、祖父母の面倒を見ていた。

着物の入った風呂敷包みを祖母に手渡すと、
「持って帰ってもらうものが有るから、用意するまで、少し遊んでいけ・・・」
祖母はそう言って、家から急いで出て行った。そして三十分ぐらいたってから戻ってきて、
茶封筒に入ったものを差し出し、
「母ちゃんに渡すんだよ。他の人に絶対に見つからないようにね。
 はい、これはお手伝いの、駄賃だよ」
と言って駄菓子の入った小さな紙袋を握らせてくれた。

それから私は母親から頼まれて、何度と無く祖母の許へ品物を届けては、
其の帰りに茶封筒に入った物と駄菓子を受け取って帰った。
数年後に成ってから、私はそんな母親と祖母の行為にようやく気づいた。

母親が祖母に品物をこっそりと届け、祖母がその品物を持って質屋に行っていたのだった。
母親は舅と姑に内緒で自分の着物や持ち物を質屋に入れて金に替え、
家族の生活の足しにしていたのだった。


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古希2-2
母親自身が質屋に行ったのでは、舅や姑をはじめ周囲の者に
気付かれる恐れが有る為、祖母が仲介役を務めて居たのだ。
いま思えば、母親の苦労が胸に突き刺さってくる感じであった。

質屋で生活費を工面している事を知った頃から、
私のお金に対する考え方が少しずつ変わっていったのだろうか。
貧乏は嫌だ。お金さえ有ればどんな物でも買う事が出来る。
貧乏人だとバカにした奴らを金持に成って見返してやりたい。
将来は絶対に金持に成ってやる!!そんな思いが強くなっていった。

少年時代から腕白だった私は、中学時代には不良生徒に成っていた。
今で言うツッパリ中学生と言うところだろう。勉強はまるでダメだが、
腕っ節だけは高校生にも負けたことは無かった。そのせいかどうか、
私を中心に十人近くの不良グループが出来た。

私以外は全員小遣いを貰って居たので、自然私は彼らにたかる様に成っていた。
たばこ、駄菓子、飲み物代などを半分脅迫まがいに貰っていた。

それと共に性に対する興味というか、好奇心というか、それがしだいに強く成って来ていた。
写真雑誌の女性のセミヌード姿に胸をときめかせたりして、何時の間にか千擦りに耽る
ようになっていた。

学校のトイレや田圃の畦道で千擦りを掻いた事も何十回となくあった。またトイレで
タバコを吸って居る所を先生に見つかり、母親が学校に呼ばれて説教された事もあった。

私の初体験は中学三年生の時だった。当時、私には一歳年下の彼女がいた。
彼女も女不良グループの一人であって、皆の前ではやけに突っ張っていたが、
二人だけに成ると可愛い女だった。何度か川原や公園でデートをして別れた後で、
私は彼女の事を思い、何度と無く千擦りを繰り返していた。

しかし日が経つごとに私の彼女に対する思いは強くなり、ついに爆発してしまった。
夏休みの村祭りの夜。場所は神社裏の雑木林の中だった。
抵抗する彼女に馬乗りになって口を塞ぎ、スカートを捲り上げて下着を引きずり下ろした。
そして私も急いで下半身を剥き出しにして、覆い被さっていった。
古希2-3
日頃突っ張っては居ても実際の性体験はなく、知識も疎かったので、勃起した
ペニスの先端を、やたらにワレメへ突き刺すだけで何処が穴やら判らず、イライラしていたが、
何かの拍子に亀頭がズボッと入ったので、其の侭腰を押し進めていった。

彼女は激痛に悲鳴を発してブルブルと体を震わせていた。
三こすり半。まさにそんな感じだったろうか。根元まですっかり入りきらないうちに
あっと言う間に射精をしていた。快感も何も無かった。
彼女と体を合わせたと思った瞬間、もう終わっていた、と言う感じだった。

彼女とは中学を卒業するまで付き合い、デートの度に川原や、森の中、農機具小屋、
などで抱き合い、体を求め合った。処女と童貞だった二人は恋人気分を通り越して、
夫婦気取りの様に成って、彼女の用意するサックを嵌めて遣り捲っていた。
私は彼女を抱くたびに色々な体位を試しセックスの楽しみを少しずつ知っていった。

中学を卒業すると同時に、私は故郷を捨てて東京に出た。
最初に就職したのは電気部品会社で大田区の町工場だった。
時は昭和33年、テレビが各家庭に普及し始め、会社は忙しかった。

住まいは工場の寮であった。仕事が終わると先輩社員に連れられて
毎晩の様に飲み歩き、貯金などは貯まる筈も無かった。
先輩社員達は給料日の夜には決まって川崎の歓楽街に女漁りに出掛けて行った。

私も就職して半年ぐらいから、月に一度は川崎のトルコ風呂に通う様になった。
何しろ給料は安い。しかも寮費が天引きされるから残るのはほんの僅か。其の中から
飲み食いをしなければ成らないので、トルコ通いと言っても月に一回が限度だった。

工場には女子工員もいる。私は彼女達を誘い、恋人気分にさせて寮の自室に
連れ込んでは、強引に関係を迫った。セックスの目的を達すると悪いとは思ったが、
そんな彼女達から小遣い銭をせびり取り、飲み食いに使っていた。
  1. 私の性遍歴
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ご挨拶

万屋 太郎

Author:万屋 太郎
2006年9月に初稿をUPしてから
早くも10年が経過いたしました。

生まれ育った横浜を離れて今年の1月に、
静岡県伊東市に移住いたしました。
山あり、湖あり、海あり、の自然環境はバッグンです。
伊東には多くの文人が別荘を持ち、多くの作品を
手がけて居られるようです、私もあやかって、
この自然環境の中での創作活動が出来ればと思っております。

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